イタリアのおいしい話 #31

「 イタリア式 の ブロード(煮出し汁)」



 今にもチラホラと小雪が舞ってきそうな、底冷えのする一日。北風が強 く、冷たい雨が降りしきる一日。あるいは、思いがけない梅雨寒の日など。 外に出かける気分にならないそんな日は、家にこもって大鍋いっぱいにブ ロードをとります。

 ブロードをイタリア料理用語辞典でひくと、‘(スープを作る為の)煮出 し汁'と訳してあります。料理の基本となる‘だし'のことで、材料によって、肉のブロード(brodo di carne)、魚介のブロード(brodo di pesce) 野菜のブロード(brodo di verdure)の3つに大別され、さらに肉のブロードは牛と子牛肉を使ったものと、鶏肉だけのものなどに分かれます。

 イタリアでは星付きの一流リストランテはもちろん、家族経営の小さなトラットリアでも、厨房に入ると必ずと言ってよい程、このブロード用の大鍋がガス火のひとつかふたつをどーんと占領して、絶えず湯気をたてています。

 鶏肉や骨付きの子牛肉などを手際よくさばくと、最後に残った骨はもち ろんブロード用。にんじんなど野菜のくずもブロード用。 魚を三枚におろ せば骨が残って、これもブロード用...塊の肉だけでなく残りものまで 余すところなく利用して、ごく自然にブロードがとられ、料理人達はいつでもこのおいしいブロードをレードルにすくっては、煮込みやパスタ、リ ゾットにと使い回していくのです。

 さすがに家庭では顆粒状やペーストになったインスタントのブロードの 素を使うほうが多いようですが、マンマの中でも味にこだわる人は、手軽 な鶏のブロードや野菜のブロードくらいはちゃんととっています。うちで とるのも、主にこのふたつ。

 そして時々、‘だし’というよりそのままスープとして飲めるくらいの 上等なものにも挑戦します。ミラノの料理学校で習った鶏肉1羽分を贅沢 に使った鶏のブロードや、シエナやラベンナのマンマ達から習った鶏肉と 牛すね肉を合わせてとったブロードです。

   材料は、鶏1羽分と玉ねぎ中2個、にんじん小2本、セロリの茎2本分。 これに水6リットル。時にはローリエ1〜2枚も加えます。日本では鶏1 羽を買い求めるのもさばくのも大変なので、水炊き用の骨つきぶつ切り肉や手羽先、もも肉などおおよそ1羽分くらいを目安に合わせて作っていま す。鶏の分量を半分にして、その分牛すね肉を加えるとミックスタイプの ブロードになります。

 肉のブロードのとり方は材料が多少異なっても基本的には同じです。  まず、肉をよく洗って大鍋に入れたら水を加え、火にかけます。最初は強 火。煮立ってきたら弱火にし、湧き上がってきた脂やアクをお玉で丁寧に すくり取ります。野菜類を丸ごと加え、ここからの火加減はゆらゆらと、 軽く水面が微笑む程度のごく弱火。蓋をすると匂いがこもるので、蓋はし ません。塩は素材から旨みをひきだす為のもの。味つけではないので量は ほんの少し。そのほうがいろいろな料理にと、使い勝手がよいのです。

 1時間30分〜2時間くらいコトコト煮たら、すぐにざるに布巾かキッ チンペーパーをのせてそこにブロードをお玉ですくい入れながら漉します。

   こうして時間をかけて丁寧にとったブロードは、透明で淡い黄金色をし ています。鍋から漉して大きなボールいっぱいになると、ある種の達成感 で満たされるほど。保存用にさらに他の容器に移し変える時など、1滴で もこぼすまいと気持ちを集中。それでもなにかの調子でこぼしそうになる と、枡やコップに溢れるようにつがれた日本酒を無駄しまいとする酒飲み のように、‘おっとっと’などと思わずつぶやいてしまいそうなくらい。 手間暇かけた大切な液体。いとおしい気分にさえなるのです。

 口に含むと、なめらかな液体がするりとのどを滑り落ち、細胞のひとつ ひとつに栄養が染み込んでいくような、それはそれは素直で、滋味深い味 わいです。

   ブロード作りは時間がかかるといっても、その間、じっと鍋の前に立ち 尽くしている訳ではありません。冷蔵庫内の掃除をしたり、必ずなにか別 の作業を並行してしています。

 一番よくするのが、実は読書。弱火であることを確かめたら、一杯のお 茶を用意して、近くのソファにゴロンと横になります。ふつふつ、ふつふつ。鍋の煮立つ静かな気配を絶えずどこかに感じながら、本に心を移しま す。

 しばらくすると優しい香りが立ち上がってきて、少しづつ濃度を高め、 1時間もすると玄関まで家中においしいブロードの匂いが立ち込めていて... ふんわりと穏やかな気持ちになっているのです。  おいしい匂いを感じながら、のんびりと本を読む。鍋の中の変化に絶え ず目配りはしていても、べったりではない。ブロードをとる時の、鍋と自 分とのこんな距離感も案外と好きなのです。

P.S 火のそばを離れるときは、危険なこともありますので、タイマーをかけるなどしてくださいね。



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